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SIREN FAN

〜サイレン次回作を応援するペ−ジ〜

このページはプレイステーションのサイレン(SIREN)と特に次回作(サイレン3)の実現を応援するために個人的に作っております。^^

(初期開設日:2013/3/28) ※当ページは攻略法などのサイトではありません<(_ _)>

★このページは、かつてサイレンの小さなファンサイトとして開設しておりました「SIREN FAN」を、サイレン次回作応援のためのページとしてささやかに再開したものです。
ページ内のCGはかつて当方が自作し、現在閉鎖され、当方もお世話になったファンサイト「羽生蛇田村村民会」様に譲渡したものをあらためて復刻したものです。

  

サイレン次回作応援 オリジナルCGギャラリー 

  (2014/1/17)本ページに掲載しているオリジナルCGの、
  もとの大きなサイズや、少し手を加えたものを掲載しました。
  サイレン次回作応援等に宜しければお使いください。  

寄り合い部屋(掲示板)

  サイレン好きの方、宜しければどうぞ〜<(_ _)>

■サイレン応援論 (下の項目にしたがって、随時追記予定です。)

■索引 (初期開設日:2013/3/28)

1. サイレンへのご恩とご縁

 ・サイレンとの出会い 2013/3/28

 ・羽蛇田村村民会様とのご縁・交流 2013/3/29

 ・軍艦島とのご縁、模型作成 移住へ 2013/3/31

2.サイレンを捨てることが如何にもったいないか 

 ・NTの失敗など問題にならない2013/4/1→補足記事(2015年8月7日追記・訂正)

 ・サイレンという名前、世界観の価値2013/4/2

 ・普通に作れば安定した人気が出る商業的価値2013/4/4

3.〜はかない願い〜次回作へのアイディア・ヒント集

 サイレンにとっての新アイディアの条件2013/4/7

 幻視の取り扱い 若干の改良点と新たなアイディア2013/4/8

 ゲームの初期・異世界転換への流れ 2013/4/14

 舞台について1.ファンにとっては舞台はどこでもいい(と思う) 2013/4/15 

 舞台について2.マクロな舞台案と異変のアイディア 2013/4/15

 人物の魅力は物語の魅力 2013/5/12

 補足・ゲームシステムの改良希望点 2013/7/20

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1.サイレンへのご恩とご縁

サイレンとの出会い

 このページは、プレイステーションの純日本のホラーゲーム、サイレンのファンの方々や、作成されたスタッフの方々の目に届けば幸いと、サイレン次回作へのはかない願いと

お礼を込めて書いております。以前から、このページを作りたいと思っておりました。

 私はサイレンシリーズの一ファンであるというだけでなく、サイレンをきっかけとして人生が大きく変わったという人間です。

 2012年の4月、大阪府藤井寺市から長崎県長崎市の南、脇岬へ引越ししました。この引越しのきっかけをくれたのは、もとを辿ればサイレンでした。

 サイレン1が発売され、恐ろしいので放映中止になったというCMを見、真夜中に藤井寺市から隣の松原市の古本市場まで自転車で行ってこれを購入、その魅力に取り付か

れ、クリアーした後もサイレン2が待ち遠しくて、予約をして買いました。

 ファミコン時代の約30年前から数えて、後にも先にも予約だけでなく、同じゲームを2本づつ購入したのはサイレンとサイレン2だけです。(片方は他人に貸すためでした。)

そしてそのサイレン2が、後述しますが、その後の私の人生にも大きく影響を与えてくれました。

 ちなみに私はゲームについては、ファミコン初期からのいたって地味な玄人ごのみです。決してゲームオタクでも極端なゲーム好きでもありません。

 好きなゲーム(シリーズ)は、ファミコン時代からのコナミのグラディウス、ドラキュラ、バイオハザード、最近では、サイレントヒル、みんごる、チョロQ、グランツーリスモ(まで)

くらいでしょうか。ロールプレイングはドラクエ・FFW以降、ほとんどしておりません。

 またかつて、ナムコの黄金時代に作成されたマッピーやパックマン、ドルアーガの塔、ゼビウス、ギャラクシアン、ギャラガ、ギャプラス、ボスコニアン、ディグダク1,2など、

いわゆる名ビデオゲームの原点、価値を重要視する者です。さらに、特に1980年代に発売された当時のパソコンの特にアドベンチャーゲームの独特の抽象画的画面に、大変

ペーソスと絵画的魅力の価値を感じるものです。サザンクロス、サラダの国のトマト姫、デゼニランド、またファミコンにもなった堀井雄二さんのポートピア連続殺人事件、オホー

ツクに消ゆ、などはストーリーと当時の独特な画面を鑑み、大変な名作と思います。ちなみに我が家のは、FM-7という富士通のパソコンでした。(現在もあります。)

 ハードとしては、ファミコン、PCエンジン、スーパーファミコン、プレステ1、2、3、WII、昔は光速船などというマニアックなハードも家にありました。ソフトは親が購入したものも

あわせて250本以上と思います。

 そういう自分にとっても、最近のゲームのほとんどは、無料でもあまりほしいと思わないものがほとんど、という状態です。

 その中で、サイレンほど次回作が楽しみなゲームはないという次第です。 

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ファンサイト 羽生蛇村 村民会様とのご縁・交流

 確か2005年頃、ではないかと思いますがサイレンをし始めて少ししたとき、、ネット上のサイレンのファンサイト、羽生田村村民会様に出会い、色々とたのしい交流をさせて頂き

ました。本ページにも掲載している、CGもかつて村民会様のために作成したもので、同サイトには実際にサイレンに声の出演された方々も掲示板に書き込みがされ、とても

驚きました。ゲーム自体を2本づつ購入したのもサイレンだけですが、こういったファンサイトに交流させていただいたのもサイレンだけでした。私も”信彦”の名前で書き込みを

させて頂いておりました。

 現在、惜しくもサイトは閉鎖されてしまいましたが、あのサイト様のサイレンの普及に対する貢献は決して小さいものではなかったと思います。

 同サイト様が一度閉鎖されたときは、当方にサイレンファンという小さなサイトを一時立ち上げ、同サイト様の常連さんたちの一時しのぎの退避場所にしたこともあります。

その後、サイトは復活されましたが、管理者様のご多忙などで、惜しくも再び閉鎖されてしまいました。

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軍艦島との縁、そして長崎へ移住

 サイレン2では、舞台となる夜見島の中に、実在する長崎市の軍艦島(正式名 端島)にある廃墟の建物、地獄段と本当に呼ばれていた階段など一部が再現されています。

サイレン2の舞台、夜見島のモデルは軍艦島と解釈される場合が多いようですが、軍艦島はほぼ完全な人工島であり、大きさもゲームの中の夜見島よりずっと小さく、ごく一部

の建物、ドルフィン桟橋だけがゲームの舞台のモデルとなったという方が正しいと思います。


端島(軍艦島)です。

 私は当事まだ軍艦島を知らず、サイレン2からそれを知り、最初は廃墟関係の本から興味をもって軍艦島についての本を読みはじめました。「軍艦島を世界遺産にする会」の

存在をそれから知り、理事長の坂本道徳氏の書かれた「軍艦島の遺産」を購入して拝読、軍艦島の歴史的な意義や独特の生活様式やそのコミュニティの価値に惹かれ、会に

協力したいと思うにいたり、その後、軍艦島の模型作成やイベントなどにしばしば協力し、ついに2009年、「軍艦島を世界遺産にする会」の活動の結果、軍艦島が世界遺産の

暫定リストに掲載され、長崎では大きな話題になりました。

 そんな中、私はもともと大阪の家からは環境そのほかの色々な理由で移住を予定しておりましたが、どうせなら環境もよく、直接的に協力できる長崎にしようと決意し、母と犬

と大阪からここ長崎市 南部の海のすぐそば、脇岬町に2012年4月に古いお家を買って移住をしてきました。軍艦島の見えるところ(野母崎)までは自転車で10分くらいです。

 澄み切った空気、青々とした山、輝く海、すばらしい人々、家は古いので修理は大変ですが、この移住は本当によかったと思っています。

(移住後の生活・家の修理日誌ははこちらです)

 また、もし今後うまく話が進みましたら、上記「軍艦島を世界遺産にする会」や現地と協力し、この地に軍艦島の小さな博物・資料館のようなものを設立したいと考えています。

これは、さかのぼればすべてサイレン2、サイレンにきっかけと遠因があります。いわば私が今この素晴らしい環境の長崎に住むきっかけ最初にくれたのはサイレンのお陰、

サイレンを作ってくださった方々のお陰なのであります。

 それだけに、サイレンの次回作の作成のお願いと応援をぜひさせていただきたいと願う次第です。

 聞くところによりますと、NTの不評から次回作を作られることを断念されたそうですが、それは誠にもったいなく、単純にゲームソフトとしての人気を考慮しても次回作はぜひ

作られるべきであると思い、このページではその応援と理由と論証、そしてアイディアをむなしく叫びたいと思います。

 ちなみに、私はサイレン1と2は数回クリアーし、アーカイブももちろん全部獲得、隠しシナリオも一応制覇、サイレンマニアックス1,2も購入しています。NTも購入しました。

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2.サイレンを捨てることが如何にもったいないか

NTの失敗など問題にならない

 サイレンの次回作が作られなくなった、あるいは休止されてしまった理由として、私が耳にしましたのは3作目のNT(ニュートランスレーション)が不評であったからということ

でしたが、これは仕方がないことであり、ある意味で当然の結果と思います。NTは、1のストーリーと各人物を足して2で割ったものに、登場人物の約半分をアメリカ人にした、

そして、舞台をプレステ3の美しい画面で描きなおした、と乱暴に言えばこういうものだったと思います。

 私は思いもよらなかったのですが、この目的が、海外での販売を目的にしていたからということだという噂を聞いております。

(※2015年8月7日追記・訂正)

 上記につき、2015年【SCE公式】真夏の夜の納涼『SIREN』放送 (8月7日20〜21時 放送済み)内で、当時NTの作成で、ハリウッドでもサイレンの映画化が予定されて

おり、それにあわせた企画でもあったが、映画だけが流れてしまったという当時の裏の難しい事情が外山さんから語られました。

・・・・・・

 サイレンのサイレンたる所以は、まず純和風、日本の物語であって、それに中途半端な外国人と雰囲気を、ほとんど意味無く加えてしまったという点、しかもストーリーを1の

焼き直しの縮小という形にしてしまった点にあると思います。(ただ、それでも一本のゲームとしては、十分に面白いものでした。)

 これは失敗しても仕方がない、大冒険だったと思います。海外での販売を意図したため、外国風にしてしまったというのは、サイレンの価値の根幹を揺るがす、本末転倒な

ことであったといえるでしょう。

 しかし、逆に言えばこんな突拍子もないことさえせず、2の延長で”普通に”作れば、諸所に賛否はあってもまちがいなく一定以上の評価を得、ファンの期待に答える素晴ら

しい傑作が絶対にできると思います。

 たった一回くらいのそれも理由がはっきりとわかっている失敗で、サイレン自体をあきらめてしまうなどということは、これこそもったいない非生産的な選択であると思います。

 (理由は後述させて頂きます。)

 昨今、バイオハザード6が発売されましたが、アマゾンなどではかなり酷評がでており、作成者の作りたいと思うものとユーザーの求めるものの乖離がおきているという意見

が散見されました。これは最近、確かにあると思います。「なぜ前作で不評だった部分を拡大し、好評だった部分を縮小するのか」という誰もが思う疑問です。

 作成者側が、ある意味でユーザーにこびない、迎合しないという事を強く意識されすぎている部分があるのかなと思うこともあります。ただ、ユーザーの好みに沿ったものを

作ることを迎合として拒否してしまっては物理的に絶対にいいもの、売れるものはつくれないと思います。これは決して、迎合ではありません。迎合と言うなら、アメリカでの販

売のために、NTのような構成にしてしまうことのほうがはるかに間違った迎合であり、おもねったことになってしまうでしょう。えらそうな事を申し上げて真に恐れ入りますが、

これは私自身にも戒めなければならないことであり、常に襟をただし、仕事でも過去、反省すべき点が多々ありました。また現在も反省の日々です。

 特に私は商売人ですのでつねに一般消費者が何を欲しているかということを感知してそれに沿い、かつ善悪の判断と本当にそれが消費者にとってよいものかを考えて仕事

をしなければなりません。それゆえ、すくなくとも、完全な用品を作っている自分は、自分が(芸術家的に)造りたいものという目的はほぼ皆無です。せいぜい、製品のシール

デザインくらいでしょう。

 また、自分が個人的に良いと思っても、使用者がいいと思わなければ何の意味もなく、自分の思い込みと趣味を無理やり貫いたところで、あくまで買ってくれる相手の立場

を理解しなければ、結果的に商売はなりたたず、またそういう一般の多くの人が理解できない、利益にならないことを行って、正しい仕事をしたといえるのか?という問題があ

ります。芸術家として「自分の作りたいものを作る」ということは大変大事でありますが、我々作成、販売サイドは「どうやったら一般の人の役にたつか、あるいは楽しめるもの

ができるか、」という、その部分に興味と視点をもつべきと考えています。ゲームは芸術と、たのしい時間を購入者に与える”用品”の双方の要素を含んでいると思います。

 ただ、少なくともエンターテイメントである以上、やはり楽しませるということが最大目的の”用品”であり、芸術はその内部の各所に含まれているべきものではないかと思い

ます。そういう点さえ踏まえて頂き、あと純和風・日本のホラーという大事な根幹、そして新しい物語を作るという部分さえ保守して製作すれば、絶対良いものがどんな作り方

をしてもできると確信する次第です。NTの失敗は決してサイレン自体の失敗ではないと思います。

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”サイレン”という名前、世界観の価値

 サイレンの次回作のお話の前に、サイレンというシリーズ自体を放棄してしまうことが如何にもったいないことか、私の思うところを訴えさせて頂きたいと思います。

まず、サイレンで作り上げられた世界観は、どのゲームにも類似するものがないほどリアリティがあり、しかも昭和の雰囲気、サイレン2では高度成長期時代のわすれられよう

としていた古いコンクリートの世界、いずれも我々に大変実感として分かりやすい近現代の風景で、それが一層の恐怖や一方でなつかしさなどの魅力を助長します。

 さらに、サイレン1とNTで作られた屍人の巣の雰囲気は、単に奇怪であるだけでなく、私が感じたことですが、どこか、学校の体育館で暗幕を引いて作った懐かしいお化け

屋敷のような独特の雰囲気やいい意味での閉塞感もありました。特にサイレン1で感じたことです。 

 和製ホラーの有名なものでは零シリーズがありますが、これはカメラを武器として使う、特定の範囲内でのアクションゲーム的な要素があり、また建物も常に江戸時代以前の

武家屋敷を思わせるもので、ゲーム的に、もしお化け屋敷として評価するなら、零は”脅かす”タイプのお化け屋敷ですが、サイレンの場合はそのつくりあげられた知っている

風景の異世界の町や建物で、底知れぬその世界の存在自体の怖さを味わうことができる展示施設というべきものと思います。これは、はっきりいって格が違います。

 またなによりこの”サイレン”という名前がホラー系のゲームや映画としては素晴らしい名前と思います。サイレンは本来、パトカーや救急車、消防車などの音が多く、事故など

、なにかしらの凶事を知らせる人工的な音であり、それも普通は遠方から聞こえるものです。遠方にある凶事が、自分に近づいて来ることを連想させ、しかもゲームでのサイレン

はおぞましく、恐ろしい生き物の叫び声であり、それをもともと人工的な凶事を思わせるサイレンの名前と重ねているというのは、誠に妙技といわざるをえません。

 同じホラー系ゲームのサイレントヒルが、静岡県の英訳から偶然的につけられたそうで、もちろんこれも怖い雰囲気があって悪い名前ではないと思いますが、”サイレン”はそ

れとはもっと意味の強い別格の価値があると思います。

 このゲームの名前は、それを知らない初めて見る人にも販売上も大きく影響するもので、ホラーゲームでサイレンという響きは、極めてすばらしい名前と思い、これに変わる名

前は、そうそうあるものではなく、逆にいえばサイレンを捨ててこれ以上のゲーム名をつけることなどできないでしょう。

 このゲーム名を生み出されただけでも、大変な功績であると思います。本当に、よくこれだけのものを創造されたと賛辞を申し上げたいです。

 これを捨てることはもったいないこと限りないと思います。仮にこの企画、これだけ作り上げた世界観・資産を捨ててしまって、別のものを新たに考えることが、はたして商業的

にも良い選択、生産的といえるのか、サイレンに匹敵するようなものを作り出すことなど、まず不可能と強く思う次第です。

 先にも申しておりましたが、どうかたった一度くらいの不評などもろもともせず、自信をもって邁進していただきたいです。

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普通に作れば安定した人気が出る商業的価値

 何よりサイレンをもったいないと思いますのは、我々よりむしろ販売サイドやメーカーさんの立場を察して思います。これだけ安定したファンと世界観に支えられていた商品、資

産をあきらめられてしまうのは商品としてもったいないと思います。普通に、とにかくごくごく普通に1や2のゲームが、シナリオだけ延長したように作ってもらえたらほぼまちがい

なく安定した人気が出ることは明白です。もちろん、作品によって多少の諸所の賛否はあるかと思いますが、1、2のファンが買わないなどということはまず考えられないです。

 NTさえ、予めの予告等で概要は分かっており、私も内容的にどうなのだろう?と思っていましたが当然買いました。多くのファンは購入したはずです。その結果、不評であった

ということ、NTによって新しいサイレンファンは増えなかったことは仕方がないと思われますが、もしサイレン3が普通に作られれば、もとのファンの方々はまずまちがいなく買わ

れるでしょう。

 というより、とくに今から20年以上前からのゲームを普通にしてきた世代にとって、他にそれほど買いたくて仕方がないようなゲームなど本当に少ないのです。

 自分を中心にしがちな意見で誠に恐れ入りますが、私のまわりでも多くの方が実際そのようです。

 いいパターンができた良い例がサイレントヒルです。私はサイレントヒルは1〜4、ホームカミング英語版、最新のダウンプア英語版も一応一通り楽しませてもらいました。

 サイレントヒルは、ほぼ安定した人気があるようですが、その中で一番評判がいまひとつ、また賛否がわかれたのは4のザ・ルームのようです。サイレントヒルという町がでて

こず、パターンをかなり逸脱したものでした。ただ、それでもゲームの雰囲気や世界観は維持されている部分もあり、ひとつの変わった巻として数えられるものではないかと思い

ます。ただ、やはりサイレントヒルにファンが期待しているものは、サイレントヒルのあの町が出てくるものだと思います。そして、5(ホームカミング)以降はまたサイレントヒルの

町を基準にしたものに戻り、ある種パターンにはまりながら、安定した人気があり、今後も人気であり続けるのではないかと思います。

 現に私も、それほど待ち遠しいわけではないのですが、結局毎回購入させてもらっております。

 その意味で、皆に期待されているそのシリーズのパターンを踏襲するということは、そのシリーズであるという定義をまもるために、重要なことと思います。

それを逸脱してファンが離れてしまったソフトが私の知っている数少ない中でもあります。

 一番印象に深い典型は、コナミのドラキュラシリーズです。

 ファミコンのディスクシステムに始まったこのシリーズは、ゴシックホラーの横スクロールアクションゲームとして、グラディウスとともに音楽と画面の美しさで、ゲームを芸術の

粋にまで上らせた素晴らしいものだったと思います。特にファミコン3作目の悪魔城伝説は、ファミコンのハードの限界に挑戦したと思われる作成された方々の大変な気迫を感

じるものでした。この頃の音楽は名曲ぞろいで、後々のグレードアップしたハードのソフトにも何度も音源だけを改善して再利用されています。

 プレステ3になってから、そのシリーズをシリーズたらしめていた根幹の部分を変え、すなわち横スクロールのゲームを3Dにしてしまったため、名前だけの(今はキャッスル

バニア)シリーズになってしまったと思います。結果、どうなったか、画面は確かに美しくなりましたが、それは他のゲームと同じことで、別にドラキュラとしての魅力とはいえず

、一方、敵キャラクターの種類数があきらかに減ってしまいました。まあ、この3Dにしたということで名前を替えられたということでしたらもともと別ゲームになったということです

ので、仕方がないかもしれませんが、ただドラキュラのシリーズからストーリー上、続いているというだけではあまり意味がないと思います。

 ドラキュラシリーズはあくまで2Dの横スクロールのアクションゲームという基本があり、東野美紀さん他、素晴らしい作曲家の方の素晴らしい音楽があり、2Dで書かれ

た絵画的魅力をもつ、しかもボスも雑魚も非常に豊富な数のキャラクターがあり、次はどんなボス敵が出てくるか・・と楽しみになったものです。だからこそ人気があったのでは

ないかと思います。個人的には、プレステ1の「ドラキュラX 月下の夜想曲」が最後の名作ではなかったかと思います。(ポータブルゲーム機のものはもっておりませんので

存じておりません。) 

 ここでひとつ重要と思いますことは、上記の「月下の夜想曲」の主人公が、それまでの作品のバンパイヤハンターのベルモンド一族ではなく、ドラキュラの息子であるアルカー

ドであったということです。しかし、ゲームのシステムや世界観や雰囲気の根幹はそのまま生かされ、グレードアップさせてものであったため、素晴らしいものになっていたと思

います。ドラキュラシリーズの魅力と定義をそのままに、素直にボリュームを増加させた作品であったのではないかと思います。

 そういう意味で、なぜそのシリーズが人気があったかという、もっとも大事な定義の部分を、作成者のこだわりでなく、あくまで客観的に捕らえることが重要で、いかにハード

ウエアの性能がよくなったからといって替えてしまってはやはりもうそのゲームではないと思うのです。それと、3Dのゲームが2Dのゲームに絶対的に勝るというわけではあ

りませんので、意味なく替える必要はなく、2Dであったものを3Dに替えてしまうのはやはり、別のゲームになってしまうと思うべきでしょう。

 横スクロールの名シューティングゲームの大傑作グラディウスシリーズは、この定義を換えておられず、安定した人気があるようです。ただ、4以降、あきらかに音楽の質が

かわってしまいました。これは、当時の作曲家の方々でなくなってしまったからのようですが、グラディウスの命の半分は音楽と思いますので、ぜひ、復活させて頂きたいと

思います。

 アマゾンなどの批評などを拝見しましても、かつての名シリーズがファミコンで出されたものなどに対する評価がなぜいまだに高いか、その理由をぜひ重要視していただきた

いと思います。あれは決して、懐かしいからという評価ではなく、飾り気のないゲームの価値の本質を評価されているのではないかと思います。

 話をサイレンにもどしまして、サイレンはたった1と2で、その定義を作り上げてしまったという大変すごいゲームと思います。

の定義さえ守り、普通に続編を(NTのような1の亜種ではなく、)作っていただければ、まちがいなく一定以上の人気が得られるものと思われます。 

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3.〜はかない願い〜次回作へのアイディア・ヒント集

サイレンにとっての新アイディアの条件

 さて、今まで申しておりましたようなことはごく一般的な評価をおさらいしたようなことでしたので、以後はサイレン3が実現することを、砂上の城のごとくはかなく願って、次回

作へのアイディアを喚かせて頂こうと思っております。

 その前に、先ほどからのサイレントヒルを少し例にとって申し上げたいのですが、サイレントヒルは、定石のパターンを得て、サイレントヒルの根幹を守って手堅く次回作がつく

られている反面、最新作のダウンプアでは逆に普通すぎ、また敵キャラクターがたった4種類、ボスも一体だけというややボリューム不足が感じられました。アマゾンなど一般

的な批評でもそういう判断が多いようです。ただ、これは単にそういったボリュームを増やす作業さえ行えば、かなうことと思います。サイレンでも、同じことが言えると思うので

すが、ここではそういうボリューム的なものを増やす意味とともに、ゲームとしてのというより、サイレンという物語としての魅力をアップさせる、ゲーム上のアイディアを主に考え

てみたいと思います。

 ここがサイレンの難しいところで、単にゲーム的な要素を増やせば、ゲーム性は高くなるかもしれませんが、そもそもサイレンの魅力はゲーム性ではなく、何よりその世界観

と、絶望的な異界でさまよい、あえぐ状態をリアルに体感できることだと思います。そこに不用意なゲーム性を追加すれば、かえってそのサイレンのサイレンたる魅力を失わせ

てしまうことになりかねません。

 たとえば、先にも申しました同じホラー系ゲームの零シリーズがありますが、この零シリーズのカメラで霊を撮影して攻撃し、またカメラを色々な機能を増強していくというメイ

ンのゲーム性は、サイレンにはないものですが、こういうゲーム性が、その世界観にたいするリアルな感覚をプレーヤーからそぎ、世界観や雰囲気をリアルにするという点では

むしろマイナスになっている面があるとおもいます。

 そういう意味で、サイレンに新たななんらかの要素を追加するためには、あくまでこの世界観を壊さないということが大前提であり、それが守れないなら新しいアイディアなど

いれてはいけない、単にストーリーを延長するだけで良く、またむしろ現状でもより世界観を精妙にできるなら今あるものでも削るという考え方は有効と思います。

 サイレンの場合、”幻視”という、他者の視点をハイジャックできるという機能がありますが、これはそういうゲーム上の機能的な特異性はもっていますが、趣味的なこだわりは

まったくなく、ゲーム性による雰囲気の阻害はありません。そういう意味で、実に良い設定ではなかったかと思います。

 ただ、以前どなたか、どこかの評価で、サイレンの魅力の前にはこの幻視さえ不要であるという意見も拝見した記憶があり、私もその通りだと思います。サイレンの魅力は、す

でに幻視というゲーム上の一特徴に左右されるようなものではないと思います。むしろ幻視が無い方が、より良いという見方さえあり、それを次に一番めのアイディアとして解説

します。

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幻視の取り扱い、若干の改良点と、新たなアイディア

 さて、やっと実際のアイディアをむなしく叫ばせて頂こうと思います。先に、幻視がまるで無い方が良いような印象を与えてしまったかもしれませんが、決して、そうではありま

せん。幻視が無くてもゲームとしてのの魅力がほとんど損なわれないくらい、サイレン全体の魅力が大きいということであります。

 幻視はサイレンの大きな特徴であり、こういうホラー系もしくは3Dのアクションアドベンチャーゲームのシステムとしても革新的なもののひとつと思います。

ただ、決してケチをつけるわけでなく、現状の幻視に必然的に発生する若干のデメリットを感じる点をまずあげたいと思います。

 まずよくいわれることですが、ゲームが容易になってしまうという点があります。ただこれはもともとこれが分からないとクリアーそのものができないことが多いため、あまり重

要なことではないと思いますし、もともとサイレン1は非常に難しいゲームでした。ただ、そのステージの状態がある程度分かってしまうということが、恐怖のイメージを少し削い

でしまうということはあると思います。たとえば、予め幻視で屍人の存在が分かってから遭遇するよりも、遠くから不明な懐中電灯の光が近づいてくるほうが、より恐怖を感じや

すいのではないか、ということです。

 次に、先の話にも少し近いですが、雰囲気というか屍人に対する親近感的イメージが若干でてしまうことがある思います。屍人自体の視界を共有できるという事が、世界観的

 に、屍人が生きている人間(プレーしている人物)となんとなく近い存在というイメージをもってしまうため、屍人への、怪物もしくはあきらかに異質で奇怪なものとしての恐

怖感を、少し阻害してしまっているような印象があります。人間に通用するようなことは一切通じない、異世界の奇怪で危険な存在という位置づけに徹底してしてしまったほう

が、より良いのではないか、と思う次第です。そういうことで、決して幻視を無くしてしまうのではなく、生きている他の人間だけに幻視・視界ジャックができるようにするというの

もひとつの方法かもしれないと思います。

 ただ、それでも視界ジャック的なものがないと、サイレンはもともと各屍人の動きにあわせて行動してクリアーするゲームであるため、幻視が必須の場合が多く、これができな

いとステージ構成が非常に難しくなることが考えられますので、もし幻視を部分的に無くすか、あるいは上記のように生きている人間同士だけで使うようにするなら、これまでの

幻視に変わるものとして一時的に、プレーヤーのキャラクターの肉体を停止させたまま、魂(視界)だけを自由に移動させる幽体離脱のような機能を与えてはどうかと思います。

 幽体離脱中に以下のような条件とつけると良いと思います。

 ・体との距離を伸ばすほど、視界が悪くなる。

 ・屍人はすぐ近くに幽体が来ていると気づき、攻撃を加えてくる。攻撃されると肉体は死なないが、幽体離脱が終了して体に戻ってしまう、などです。

  (サイレン2にありました、視界だけでなく、屍人の体を自由にあやつれるものにも少し近い印象があります。)

 先にも申しましたように、幻視は幻視で存続させておき、幻視ができるもの、幽体離脱ができるもの、そして何もできない普通の人間という3者に分け、それぞれでステージを

色々と構成してみるのも面白いと思います。シナリオ中の途中条件に、「別の人間と落ち合う」などの条件をもったシナリオを増やし、その相手の視界をジャックするようなことで

、視界ジャック・幻視の意義を保つのも方法かと思います。困難と恐怖の中で、別の人間に遠くから出会えることで、恐怖の中のほっとした一瞬を演出するというのも、いいの

ではないかと思う次第です。

 先にも申しましたが、これは新しい機能を加えると言うより、屍人の視界を借りないという目的の方が強くあります。屍人の視界ジャックをして、屍人の息の音が直に聞こえる

のもなかなかに恐怖でしたが、やはり視界も含めて何ひとつ共有できない奇怪な存在とし、外部からだけ見、聞こえる方が恐怖の演出としてはいいのではないかと思う次第

です。

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ゲームの初期〜異世界転換への流れ

 個人的な感想ですが1も2も、ストーリーはとても奥深く、また心情深く、各シナリオの随所にある悲しさ、恐怖、狂気、時にある可笑しさ、面白さは素晴らしいものだったと思

い、また大変緻密であったと思います。特に私が個人的に印象深かったのは、2のかなえと修の悲しい逃避行でした。ドラマとしてだけでなく、その逃避行自身を自分でプレー

して体験できるわけですから、その悲しさと怖さをリアルに同時に体感できたような気がします。なかなか、こんな心情的体感ができるゲームも少ないのではないかと思います。

 ストーリーの緻密さについては、我々ど素人が口を挟む暇もないと、賛辞申し上げる次第です。

 個々人がすき勝手に批判するのは簡単で誰にでもできることですが、いかなるものも、創造することは大変です。昨今のネットの批判はすき放題ですが、問題は平均的な批

判者の著しい品性の低下と、その批判者達の大半が、創造することの難しさを知らない人間だということではないかと思います。 

 脱線いたしましたが、次のアイディアとしまして、次にゲーム上の流れとして、異界の恐ろしさをより明確にするために、ゲーム開始のしばらくの時間は普通の世界として物語

を進めてはどうかということです。2でも、ゲームの途中で正常だった頃の映像が若干見られましたが、半分くらい異界の雰囲気が近づいている状態でした。

 むしろ、山や海、美しい空の自然の美しさを最初は強調し、たとえばその地に訪問者があり、過去その地であった奇怪な出来事を捜索に来た・・という結構ありがちなストーリ

ーではありますが、もしかしたらこのままこの雰囲気でゲームが続くのでは・・と思わせておいて、あるところまで来たら突然サイレンがなって異界へ・・・という流れにしたら、か

なりこのギャップはすごいと思います。いわば「ボクの夏休み 海編」からいきなりサイレンの世界になるような感じです。

 そして、できればエンディングはその美しいもとの世界に回帰できるというふうにしたほうが、ストーリーというよりゲームの終わり方として綺麗になるのではないかと思います。

1も2も、特に1ですが、なんとなく終わったのか終わっていないのかよくわからないような印象もあって、続くなら続くでいいと思うのですが、結論がでていないような、ゲームを終

わった人がゲームから離れたあとまで、尾を引くような終わり方はあまり良いものではないと思います。

 ある意味で、終わりだけは分かりやすいものにして、美しい最後にするというは、ゲームを終わった人の満足感に配慮するとう意味で、いいのではないかと思います。

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舞台について1.ファンにとって、舞台はどこでもいい(と思う)

 これこそ勝手な推測でありますが、なぜ3作目がNTであのようになってしまったかというひとつに、舞台をどうしたら良いか、作成者の方々は苦心されたのではないかと思って

おります。1で山奥の寒村、2作目で孤島という、一番わかりやすい、いい舞台を使ってしまったため、3つ目の舞台が難しかったこともあるのではないかと思っております。

 ただ実際、我々ファンにとっては、舞台は羽生蛇村でも夜見島でも、あるいは他でもなんでもいいと思います。(そんなことより、サイレンが作られること自体の方がよほど重要

かと思います。)

 あるいは同じ山なら山でも、少し違ったシチュエーションの地形や建物、あるいは配置を用いれば全然違う印象にできると思います。

たとえば、田んぼの真ん中に家があって遠くから見たら赤い明かりがついていて、そこへ向かっていくとか、

左右を林に囲まれた細い山道を上りながらどんどん進んでいって、奥に怪しい、昔忌まわしいことがあった家、洋館、あるいは荒廃した養鶏場あとがあるとか、そういうところを

実際に私の住んでいる付近でも見られます。また、学校は1も2も登場しましたが、1は学校内部が舞台になり、2は外、学校周囲でした。いやはや、しっかりとしたメリハリ

をつけて作成されているのだなあ・・とこの点も感服しましたが、たとえば3作目でいずれが、あるいは両方登場しても、作成される側としては似たようなものを2度使いたくないと

いうこだわりがおありかもしれませんが、我々ファンとしては仮に登場しても全然問題はなく、すくなくとも作品の全否定の材料などには断じてならないのであります。

 建物自体の新しいアイディアとしては公民館とか、役場、旅館、海が近い場所なら漁業倉庫、古い水族館跡などという廃墟も実際にこの九州・長崎にあります。

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舞台について2.マクロな舞台案と異変のアイディア

  (→異変後) 

前述で舞台はどこでもいいと申してしまいましたが、せっかくアイディアの項目でありますため、せめて本ページでの大まかな舞台と、それに関連した異変後の変化を含めた

アイディアを提示いたします。上記の画像は、そのアイディアを書いてみましたものです。  

 サイレン1と2は、各シナリオの舞台が一応、ある程度距離を置いた場所に点在している設定になっていましたが、上記はごく大まかな舞台全体です。

 実は今私が住んでいる長崎半島の南部を参考にして、似た地形を方角を替えて書き直してみました。地名もかえていますが少し、似ております。

 ご覧の通り、地形としては海が多く、半島の先端でさらに先に島があるというものです。半島には小高い山もあってもいいかと思います。(実際のこちらにはあります。)

 なんとなく、サイレン1と2の地形の中間で両方の要素をもっている感じもあります。

 サイレンは、異変後にその世界が異界に取り込まれると言う設定ですが、上記の案は異変前と異変後で、地形が若干変わり、また地名もやや険しい印象のものに変わる

というものです。理由は異界に取り込まれたことで、歴史そのものが異界の歴史に変わったとような理由はいかがかと思います。こういうことは、演出にも影響します。

 たとえば上記では、右上の”白樺島”が異変後に”壁島”という名前にかわります。壁は黄泉の国との壁がある島という意味にもっていくのも面白いような気がします。

 (※壁島という島は、山口県の沿岸のごく小さな岩の塊の浅瀬のような島に、実際にこの名前がついています。もちろん人は住んでいません)

物語は、最初こちらの半島で色々とあり、異変前には橋がかかっていますが、異変後の世界には橋はなく、舟でわたることとなり、最終的に壁島へ行くことになるというもので

、さらに壁島から実際にさらに異界の深部へ・・とある程度予想ができるような感じです。

ただ、予想できるような流れが悪いということは決してないと思います。予想外がかならずしもいいというものではないですし、皆が期待しているパターンを逸脱しないということ

も、一方で良いことだと思います。

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人物の魅力は物語の魅力

 仕事に追われて、ふと気がつけば一ヶ月近くあいてしまっておりました。すみません。(誰にあやまっているのやら・・。^^;)

題名だけ書いてそのままになってしまっておりましたが、人物の魅力は物語の魅力と偉そうなことを書いております。

 断じてサイレンでのこれまでの登場人物に人間的魅力が薄いということではありません。ただ、原則的にリアル感を最優先して設定される作品では、そうなってしまう可能

性はあると思います。登場人物が人間的魅力が少ない人が多いと、物語自体の魅力がなくなってしまうということなのですが、サイレンの場合、原則的にリアル感を追求され

ることに徹底される可能性もあり、そうなると、現実の昨今はっきりいってありがちな薄情っぽい人柄をリアルに表現しすぎることが、はたしてその物語や作品自体を魅力的に

するのか、と考えるとやはりそれは違うと思います。

 では情に厚い、正義感の強い、昔のヒーローのような人物は現実にはいないのか、と言われたら数はともかく、確実に存在しています。偉人と呼ばれる方は多くがそうです。

リアルさを損なうことを意識しすぎるあまり、薄情で軽薄な人物が多くなってしまうと、やはりストーリーとしての魅力を損ないかねない、と思う次第です。

 アニメで「銀河英雄伝説」という傑作がありますが、あの作品の魅力はキルヒアイス、ヤン・ウェンリー、ロイエンタール等々・・数多い魅力的な人物ではないかと思います。

あるいは一般的なアニメでは、シティーハンターの冴葉僚、キン肉マン、北斗の拳のケンシロウ(神谷明さんばかりですね^^)、余裕あふれる性格のルパン三世、などなど、

そういった、魅力あふれる人間性を持つ人物が、異界に直面したとき、どういう行動をとり、どういう発言をするのか、これも面白いポイントになるかもしれないと思います。

 もちろん、全部の人物がそういう印象的なまでの魅力的人物であるとかえっておかしいことになってしまうかもしれませんが、こちらが無理やり魅力を見出さなくても、自然に

多くの人に愛されるキャラクターはいてもいいのではと思います。

 ・・・・・・・・・・・

 長々と偉そうなことばかりで失礼をいたしました。サイレンに対する感謝状と次回作への応援歌に微力でもなりましたら幸いと思います。

 私の思いつくことといいましたらこれくらいでありますので、一応の一段落とさせて頂きます。

 こんなしょうもないページをご精読頂いた方、誠に有難うございました。

 最後に、このような素晴らしいゲームを創造、作成してくださったサイレンのスタッフの方々に心から賛辞を申し上げ、ますますのご活躍をお祈りさせて頂きます。

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補足・ゲームシステムの改良希望点 2013年7月20日

 久々の追記で恐れ入ります。掲示板に書き込んでくださる方が昨今しばしばあり、嬉しい限りです。その中で、このたびとても共感しましたゲームの改良点を指摘された方

があり、私もまったく同感でしたので、以下に許可済みで転載させていただきます。

 投稿者:ninjaさん 投稿日:2013/07/17(Wed) 04:17 

 (前略)・・・実際ゲームも、数話のシナリオクリア後にリンクナビが所定位置に戻って「え、また最初から?エンディングもないのに終了なの?」と

勘違いしたまま次をどうす ればいいか分からず、止めてしまったのです。同じシナリオでもキャラの行動が別なシナリオに影響を与えるという進行のやり方はとてもとっつきに

くいもので した。・・・(後略)(以上)

 このご指摘は、私もまったく同感でした。ストーリー的に脈絡なくほかのシナリオのキャラクターの行動に影響することをしなければならない、またそれをしていなかったらその

ためだけにそのシナリオをしなおさなくてはならないというのは、改良の余地があるのではないかと思います。できれば、こういう脈絡の無い関連は廃して、純粋にシナリオの

数を増やすなどの方向にしていただいた方がいいのではないか・・と思う次第です。

 たった僅かな一アクションのために、9割5部同じことをもういちどさせる、ということは、あまり良い構成ではないと思います。

 これと、若干類似した印象があって関連して思うことがあるのですが、いつの頃からか、バイオハザードなどでも名作がでると、しばらくして、スペシャルエディションだとか、

ディレクターズカット版、という内容がもともとの製品の8、9割同じで、少しだけオリジナルシナリオを足した、というようなものを出すことが多く見られます。あきらかに、ファンに

実質1本+補足分という内容のソフトで、2本を購入させようという意思があると取られても仕方がありません。こういうことは、姑息ととられてかえってよくない気がします。

それくらいなら、一本の価格が高くてもいいと思いますし、補足分だけ安く出すなど、素直で誠実な販売方法をとるべきではないかと思います。